イタリアンレストランでのバイトの話③(救急車編)

(以前の記事からまたまた間が空いてしまいましたが、昔イタリアンレストランでバイトしていた時の話になります。)

店長の怒鳴られる事やハードな業務に耐えきれなかったのか、ホールのアルバイトは辞めたり出勤を減らす人などが徐々に出てきて、気付けば夜の営業時は、店長とS君(調理補助)、私(ホール)の3人でお店にいることが比較的多くなっていました。

そのため、何度かお客さんから『ご家族ですか〜?』と聞かれたこともあるのです。

 

S君が童顔だったので、恐らく、店長=お父さん・私=姉・S君=弟という家族構成で想像されていたのかと思われ…

えっ?!私あの2人と全く似てないんですけどね?と心の中で思っていましたが、3人とも小柄だったので、背格好で家族と認識されたのかな。

 

あの救急車事件の日も、3人でした。

 

その日は年末の最終営業日、ランチタイムだけで店を閉め、夕方から3人で大掃除をしていました。

 

店内の掃除から始まり、次に厨房内の清掃に取り掛かります。

店長→調理台、私→シンク付近、S君→換気扇、をそれぞれ担当し掃除していた時のこと。 

 

レンジフードの中を掃除していたS君が、

フラフラし出したな、と思った矢先にドサっと床に倒れ込んだのです。

 

慌てて見に行くと、白目を剥いて、ピクピクと微かに顔が痙攣していて。。。

何が何だかわからないけど、『死んじゃうかも知れない...』と思いました。

 

店長が『換気せずにやっていたのか...』と発した言葉で、清掃に使っていた薬剤を吸い込んだことによる中毒なのだと察しました。

 

慌ててS君を2人で店の入り口のドア付近に動かし、ドアから入る風が当たるように寝かせ、声を掛けましたが意識は無いまま。

店長がすぐに救急車を呼びました。

救急車を待っている間、店長はS君の自宅に何度も電話を掛けていましたが、留守で繋がらない状況です。

そして、救急車が到着したら、私が一緒に付き添って病院に行ってもらいたいと、お願いされたのでした。

 

私が付き添った方がいい理由としては

①S君の自宅に連絡して説明するのは店長からが良いこと。

②連絡が取れた後も、ご家族とやりとりが出来るよう、お店に残るのも私より店長の方が適しているため、です。

(当時は携帯電話がありません。病院の公衆電話では連絡が一方通行になってしまうのです。)

 

店長から渡された公衆電話用の小銭や予備のお金をエプロンのポケットに突っ込んで、S君が清掃に使っていた洗剤のタンクを持ち、人生初めて救急車に乗ることになってしまったのでした。

救急車の中では隊員の方に、どんな状況だったのか等を詳しく聞かれましたが、その他のことはあまり覚えていません。

 

しばらくして病院に到着、早速お店に電話し病院名を伝えました。

そしてそこから待合室で1〜2時間程待ったところでしょうか、、、

S君の意識が無事回復したことを知らされ、心の底からホッとしたのでした。

電話で報告したところ店長も、とても安心した様子でした。

ちなみにその時点でもS君の家族とは、連絡がついていない状態だったようです。

病室に会いに行っても良いと言われS君の顔を見に行ったところ、少し話も出来るほど回復していましたが、倒れた時のことは全く覚えていない様子でした。

その後私はタクシーでお店に戻り、大掃除も中途半端のままでしたがすっかり夜遅くなっていたので、私は帰宅することになりました。

 

年明けに店長から聞いた話によると、S君のご家族とは私が帰宅したあとにようやく連絡が取れて、病院にすぐ駆けつけてきてくれたそうです。

親御さんに連絡が付いたのは意識が戻ってからだったので、それはそれで、心配も少なかったと思うので良かったのかなと…

そんなことを店長と話したと思います。

S君も1泊だけ入院しましたが、すぐに回復したそうです。

 

以上、思いもよらず救急車に乗った話でした。

 

ちなみに、この年明けの冬は、店長の誘いで店長のご家族(奥様とお子さん)と、私、S君の3人で当時流行り始めていたスノーボードに、何度か一緒に行っています。

紆余曲折を経て、そういった関係も築かれていました。

 


今週は仕事で御徒町に行きました。久しぶりのアメ横です。