転校生

東京に引っ越して10年が経ちました。 

引っ越し前日、子どもたちの同級生が校庭に積もった雪で雪だるまを作って

送り出してくれたこと、今でも印象に残っています。

山形から東京の引越しに関して一番気にしたのは当時小学生だった子供たちのことです。

主人の会社は社宅を自分で探すスタイルだったので、

何件か賃貸物件を内覧したのですが、通学路がとても狭かったり

車の通りが多い道がある物件は避けました。

何しろ田舎では歩道も広かったし交通量もそれほど多くありませんでしたから、

通学に関しての危険は少なかったので。

東京の通学路を見た時は、こんなに狭い道を歩かせていいのだろうか?

と、とても心配になりました。

いくつか見た物件の中で引越し先に選んだ家は、通学路の歩道ガードレールが

小学校の手前までずっと完備されていました。それが決め手でした。

 

いざその小学校に通ってみると、「みんなが優しくしてくれる〜」

「東京の学校楽しい!」と言っていたのはほんの数日。。。

転校生あるあるかと思うのですが、最初はめずらしくて寄ってきていたお友達も

飽きてしまったのかすーっと元の友達の方へ戻っていってしまったそうです。

また、田舎の小学校では大きな声で返事をし、音楽の授業や全校朝礼の校歌斉唱の

時にも大きな声で歌うことが良いとされてきましたが、東京の小学生は返事も

小さく、また小さな声で少し恥ずかしそうに歌う子がほとんど、先生も大きな声で

歌うことを強制しないので、やたら声がでかいうちの子たちは

目立ってしまっていたようです。

いじめなのかそうでないのか、判断がつきにくいような出来事やからかいなども

増え、以前の〇〇小学校に帰りたいと毎日家に帰っては泣く日々。

親の私も泣きたい気持ちでいっぱいでした。

特に高学年で引っ越した長女のほうが馴染みにくかったと思います。

いじめなのかそうでないのか微妙なことがどんなことかと言うと、

例えば給食の配膳のとき、柑橘系のフルーツはその学校では

給食ナプキンの上に直接置くようになっていたのですが、

自分のフルーツだけは、皮側ではなくカットした表面側が下になるよう逆さまに

置いてありナプキンに果汁がしっかりとついてしまっています。

配膳をした係の子に聞いても、え〜誰かが間違えちゃったかな?

わざとじゃないと思うよ、と。もし先生に訴えたとしても、慌ててて倒しちゃったの

かもよ?で済まされそうな出来事。しかし本人にしてみたら心がざわざわする

ような出来事です。ただでさえ無理して通っている時なので、このような些細なことでも

とても傷ついたのだと思います。

また、ある時は男の子にシャープペンで手を刺されたことがありました。

この時はさすがに手の写真をスマホに撮って、担任の先生に見せに行きました。

翌日本人が謝ってきたそうですが、「土曜日も日曜日も8時間以上勉強させられて

イライラしていた」と言っていたそうです。

その子は後に東京都内の御三家と呼ばれる名門中学へ入りました。

もしかしたら今頃は有名大学に進学しているかも知れません。

でもきっとろくな大人にならないだろうと私は思っています。

また怪我をさせたのだから親に伝えて欲しいと担任の先生に訴えたのですが、

親からの謝罪はありませんでした。

担任の先生は父親に言ったとのこと。

その後しばらくして、その子のお母さんと駅のホームで会うことが数回

ありましたが謝られたことはないですし、なんなら普通に話しかけてきたので、

先生が言わなかったか、または父親が母親に言わなかったか、真相は分かりません。

知っていて知らんぷりだったとしたら、もっと最悪です。

しばらく経っていたこと、また子供が謝ってきたこともあり、

そのお母さんには何も言えずじまいでしたが、あとから思えばもう少し勇気を出して

シャーペン事件のこと言ってみたらよかったかなと。

でも終わったことを蒸し返すことで、また何か嫌なことが学校で起きてもと考えて

しまった面もあります。

いじめなど子どもの学校での出来事について取り上げているテレビを見ていると

親はこうすれば良かったのでは?と言われることがありますが、

親も初めての事でどうして良いかわからないこともたくさんあります。

後からこうすればよかった...と思うことが多いのではないでしょうか。

 

以前の小学校では小学3年から、吹奏楽部または合唱部に入ることが強制でしたから、

吹奏楽部を経験していた娘は金管楽器が上手に演奏できました。

新しい小学校で吹奏楽部に入り、先生や周りから即戦力になり重宝されたこと、

またダンスが得意で身体が柔らかかったので体育のマット運動が皆より上手だったこと

など、芸は身を助けると言いますが、自信が持てることも増え

少しずつ友達も出来ていき、その後友人関係で悩むこともほとんどなくなりましたが、

いつも男子を引き連れているボスのような女子が周囲に睨みを利かせていた

こともあり、(シャープペン事件の男子もこの女子と仲が良かった)

ここの小学校の子たちと絶対同じ中学に行きたくないと言い出し、

本人の希望で中学受験をして、合格し、別の中学へ進みました。

その中学が本人にとても合ったようで、その後楽しく通うことが出来ましたが、

今でもあのまま地元の〇〇中へ行ったら、確実に行かなくなっていたと思うと

言います。あの小学校にろくな思い出がないと。

仮に中学受験がダメだったとしても、越境して他の地区の中学校へ通わせるつもりでした。

いま住んでいる区は『中学校選択制度』があり、小学校6年の秋頃に、

区内のどの中学校へ行きたいか希望を出します。

定員が空いていれば、区内ならどこの中学校へ通ってもいいのです。

(多数の場合は抽選です)

入りたい部活があったから、制服がなく私服がOKだから、というような

簡単な理由で越境して地元の中学以外の学校に通う子も割といます。

この制度は東京だけなのかわかりませんが、もっと全国に普及してほしい制度です。

たまたま住んでいた場所で学校が分けられて、強制的にそこの学校へ行かなければ

ならないなんて逃げ道がないから。

 

数年前の蔵王のお釜の写真です。何にも例え難い神秘的なグリーン。

見えたと思うと一瞬で霧に包まれてしまい、この後見えなくなって

しまいました。きれいな写真なので載せます。